泣いて、笑って、学長日記 2010年12月
「飛び箱」が打ち砕いたもの
シーセフリーダーズアカデミーの土居清美です。2007年4月1日、カンボジアに赴任して早13年半がたちました。今回のコラムでは、右も左も分からず日本語学校の立ち上げに奔走し、疲労困憊しながらも充実した日々を送っていたあの頃の思い出を振り返ります。
ようやく日本語学校の校舎も決まり、政府への書類提出も終わり、スタッフ・先生も採用し、カリキュラムも仕上げ、教科書も揃え、生徒募集も上手く行き、学則を整え、開校式も無事終え、教室も設え、ついに授業がスタートしました。
私自身も授業を持ち、日本語がよく分からないカンボジア人の若者たちに日本語だけで授業を行うと言う無謀な事を始めました。もちろん、主役は身振り手振りでした。
そんなある日、生徒の一人がどこで手に入れたのかボロボロの日本語の教科書を持って来て質問してきました。

「ここに『とび箱』って書いていますが、箱が飛びますか?」
一瞬、ふざけて聞いているのかと思い、彼の顔を見ましたが至って真剣そのものです。
「違うよ、箱が飛ぶんじゃなくて、箱を飛ぶんだよ」
さあ、そこからが大変でした。質問の嵐です。日本人はみんな箱を飛ぶのか? それは何故なのか? なぜ箱なのか? 箱は何で出来ているのか? これは日本の文化なのか? 全ての学校に本当に箱があるのか? 宗教儀式なのか? クラスが大騒ぎになり、もう収拾がつきません。
聞くと、誰も飛び箱を見た事が無いんですね。さらに聞けば、体育の授業と言うのが無かったと。小学校から高校までそんな授業は無かったと。そして体育って何だ? と言う話に展開し、さらにクラスは騒然となったのです。
体育の授業ってこういう事をやったんだよ、と話をするとみんな目をキラキラ輝かせて聞くんです。そしてまた大騒ぎに。やれドッジボール教えて欲しい、やってみたい、やれ水泳教えて欲しい(ほとんどが泳げないと言うんです)、プールが公立学校にあるなんて信じられない、運動会って楽しそう、マラソンは疲れそうだから要らない(はぁ?)……きりがありません。
私はカンボジアのことを、多少の勉強はして赴任したつもりでしたが、何にも分かってはいなかった、と思いま
した。その晩はなかなか寝付けませんでした。彼らに日本語を教えるってどういう事なのか、何を教えるべきなのか、自分に教えられるのか、教え方はどう工夫するのか、この国の教育実態を肌感覚で理解するには、生徒のみんなはどんな生活をして来たのか、目標は何なのか、どんな家庭環境だったのか、学校は、地域は……。もう堂々巡りになって整理がつかない状態に陥ったのです。
飛び箱一つで私の小さな自信はもろくも崩れ、先行きが見えなくなり、明日教壇に立つ勇気さえ失ってしまったのです。明日「飛梅」の質問をされたらどうしよう? これは「梅を飛ぶ」じゃなくて「飛ぶ梅」だしなあ、とか要らぬ心配をしながら眠りにつきました。まるで昨日のことの様です。

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