ハナサク街で③~アングロサクソンだけじゃない
アングロサクソンだけじゃない
日本で「西洋人」と言えば「アメリカ人」だったバブル時代。東南アジアは遠い世界だった。
自分が住んだ国はアメリカやイギリス、オーストラリア、いわゆるアングロサクソンの国である。似たような制度で、似たような考え方の国々だ。
イギリスの語学学校にいたとき、ヨーロッパのオンナ達と多く接する機会があった。
南米からの生徒も多かった。アメリカに行けばいいじゃないかと思うけど、大英帝国で学んだ英語の方が上等、という価値感があるようだった。
校長は「この学校では、レンアイは自由です。どんどん他国の恋人を作って、英語を磨いてください」と、にこやかに演説する。語学留学生だけでなく、大学受験の生徒も多かったので、どうかと思うが、男子も女子も大喝采。イタリア系女子はすぐさま、男性諸君の気を引き、英国ガーデンで寝ころびながら愛を語る(複数と)始末。スペイン系はアラブのお金持ちとロンドンへ。台湾系女子は大酒を飲み、日本女子とドイツ系女子はひたすら図書館へ…と見事に別れた。授業中ドイツ系女子は質問があれば無言で「ぴっ」と手上げ、日本女子は質問どころか、発言すらしないという違いはあったけど。

お国柄なのだ。白人はアングロサクソンだけじゃないんだ…と身を持って実感した。
フランス人がいなかったのもお国柄だろう。
これじゃあ、世界がまとまらないわけだ。
「多様性を認めよう」と、叫ばれて久しいが、それは、アングロサクソンや単一民族からの視点だと思う。既に世界は多様性にあふれているのだ。そもそも多様なのだから「如何に 共通点や共感を見つけるか」が、重要なのではないだろうか。
物事を単眼で見ては、先鋭化は避けられない。
一方聞いて沙汰するな…なのである。
HANAKO
在カンボジア歴10年。東南アジアや米国など海外在住歴は20年近くになった。日系企業で営業のキャリアを積んだのち、遅めの結婚。バブル時代にならした審美眼と選球眼で、バブルのプノンペン、そして世界中の女性たちにエールを送る。